もんもんもん

子どもと真正面から接するボランティアを経験してから約一ヶ月が経つ。



このボランティアが終わってから、自分は本当に教育に関わりたいのだろうか、という疑問がふと浮かびあがってきて、ずっと自問しているのだけど、答えは出ない。自分は当然「教育」に一番関心があるものだと思っていたから、突然うかんできてしまったこの疑問に、そしてはっきりと答えを出せない自分に戸惑い、悶々としている。


「教師の理想像」はある。
けれど、実際にわたしが現場でしてきたことは、その真逆のことだった。そして、わたしがしていることは理想とずれているということに、そのときは気づくことすらできなかった。自分の役割を果たすことで精一杯で、「優しさ」と「厳しさ」を所々ではきちがえて、子どもの気持ちも本当はまったく汲み取れていなかったのかもしれないということを、ボランティアが終了して、ふりかえってみてから気付いたんだよな。終わってからわたしが気付いたことなんて、そんなの子どもは知ったこっちゃない。もう、遅すぎる。今さらながら、悔しい気持ちがこみあげてくる。
そして、その悔しい気持ちの正体だって、よく考えてみれば、「子どもに申し訳ないことをした」ということよりかは、どちらかといえば「自分の理想に近づけなかった」という自分のための後悔なんだよな。結局現場から離れたって自分本位なのよ。

まあ、理想にぴったりはまれる人間のほうが少ないんだろうから、ここでめげるのもどうかと思うんだけど。あらためてギャップを突きつけられ、そして今かなりのダメージを食らっているわけです。

で、このギャップを埋めていきたいと思える気力がわかないから、悶々としているのです。ここで頑張れないなら、いっそすべてを白紙にして、考え直したほうがいいんじゃないかと思ったりもしている。でも、そしたらこの大学で学ぶ意味もなくなってしまう。でも辞めるところまでは決心がつかない。だったらやっぱりもうちょっとがんばるか。いやでも。エンドレス。
そんな、だいがくいちねんせいのなつやすみ。